否定する力は強すぎるのでおおらかな人になりたい

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これの何が大事なんだとか、必要なモノなのかとか頭ごなしに論じられた時点で自分は黙りこんでしまう。十代の頃ならば自分のアイデンティティーを面と向かって否定されれば、真っ向から反論していたかもしれない。

その度に、元々あまりない知識を総動員して色々な角度からあーだこーだと説明してみたも、「だから何」の一言に負けてしまうばかりだった。否定の言葉の力は強いように感じてしまう。

自分の経験上何を説明しても無駄で、訴えかけても実りのない結果になる事が多い。否定に真っ向から勝負を挑んでそれに打ち勝つことの出来る有能な人もいるだろう。しかし、我が強い人にとっては容易に行えることでも譲歩することを覚えた人にとっては難しいことだ。

否定対否定の真っ向勝負は口論を生み出すが、否定を受け入れたように見える人は内部にモヤモヤとした悲しみや憎しみの感情が生まれてしまう。そのモヤモヤを自分で消化することが出来ればいいが、自己否定されたストレスに負けてしまうことが大半じゃないだろうか。

他人を否定することを躊躇しない人は、人はそれぞれ価値観の違いがあるという意識が希薄な気がする。肯定的に言えば、自分の中の信念がぶれないとも言えるのだが、それが故に他人の意見を受け入れられない、他人の気持ちが理解出来ない人になっている。言い換えれば、子供っぽいとも言えるのだろうか。好き嫌いがはっきりしているようで、物事を白か黒かで判別しているように思う。自分の価値観から逸れているものは黒なのだ。

そのような自分の意見に対するパワーを持っている人に対してはしぶしぶ受け入れてヘコヘコするか、度を過ぎた否定によって嫌って離れていくかのどちらかになってしまう。

上司や親や先生などの明らかな目上の人に対してはほとんどと言っていいほどヘコヘコしてしまう。否定プラス権力は最強だ。彼らは、部下、子供、生徒等の間違ったと思える考えを修正するのだが、相手のことを一切考慮しないもんだから後々に関係が破錠する。その結果に訪れるお互いが嫌悪感を抱くまでに至ると、互いが互いを理解できないことから関係の修復が困難になってしまう。

そんな相手に対しても、嫌悪感を抱きながらもしぶしぶ付き合う事になるケースがほとんどだ。もしかしたら、嫌いな相手も同じような悩みを持っているかもしれないし、自分自信も気付かないうちに誰かに同じような態度を取ってきた可能性もある。

そんなことを思いながら、せめて今からは他人のことをおおらかに考えながら行動していきたいものだとぼんやりと思った。

最後に

私生活のいらいらをブログにぶつけてスイマセン\(^o^)/

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